【三重】シナハン2日目
6月2日 2日目、昨日は志摩市でお世話になった方のご好意で、素晴らしい海沿いのコテージに宿泊させていただきました。すぐ目の前が美しいビーチ。波の音で朝を迎えます。










何かが起こった時、その事が無意味にならないように生きることが大切だと思う。
日々精進ですね。 田中光敏拝映画「北の流氷」(仮題) 人と自然の共生そして再生がテーマ
北海道襟裳岬。そこに太平洋を臨むかのように神々しく屹立する山、アポイ岳がある。 アポイ岳、、、アイヌ語で 火のあるところ。 アイヌは,すべての自然である,山、大地、海、川、そして、すべての生きとし生けるものに、カムイと呼ばれる神が宿ると信じカムイに感謝を捧げ暮らして来た。 しかし、極東の日本にも産業革命の風が吹き始めた明治末期。 北海道の地に暮らした人々は、寒さのあまり森林を伐採し自然を破壊した。 襟裳の地からカムイが消えた。 森は枯れ、大地は砂に覆われた。海は赤く濁り、かつての豊穣な海に育てられた良質の昆布は、泥昆布に姿を変えた。 砂漠と化した、荒涼の大地に暮らす人々を、人は「砂食い」と呼んだ。 貧しかった。 夢や希望を誰も持てなかった。 人々は、もう一度あの豊穣な海を取り戻すことが出来るのだろうか。 カムイは再び、この地に宿ってくれるのだろか。 今回、北海道に来るにあたって、とても楽しみにしていた事があります。 1年の中で1番美味しい時期となる、とても甘くて、昆布の旨味がする春ウニ。 しかし、コロナの影響で春ウニの出荷も中止とか、諦めているところ、友人が、特別に頼んで、春ウニ丼を用意してくれました。いや〜美味しい❗️ なまら美味しい‼️
『二十一世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎先生が、未来の子ども達に向けて書いた作品。
その中に書かれてある言葉です。私は、人という文字をみるとき、しばしば感動する。 斜めの画が互いに支え合って、構成されているのである。 そのことでもわかるように、人間は社会を作って生きている。 社会とは、支え合う仕組みということである。 原始時代の社会は、小さかった。家族を中心とした社会だった。 それが次第に大きくなり、今は国家と世界という社会を作り、 互いに助け合いながら生きているのである。 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようには作られていない。 このため「助け合う」ということが、人間にとって大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。優しさと言い変えてもいい。
この文章の結びに、
『君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、 二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない』と。
最近、世界のニュースを見るたび、司馬先生のこの言葉を突き付けられている気がします。 田中光敏拝今週から,映画「天外者」のダビングが始まりました。
3年前に声を掛けていただき、去年7月から準備に入り、10月にクランクインした映画「天外者」が、やっと仕上げの時を迎えています。
情報公開は,未だ先のようなので、詳しいことは後ほどお知らせします。
映画は,幕末期の青春群像劇、歴史上の人物、五代友厚が主人公です。
いつも,映画の仕上げの頃に思う事ですが,長い間作品と向き合っていると、どんな作品であれ、我が子どものように可愛いくなっていく。
ちゃんと、世間の人に受け入れてもらえるだろか?
しっかり、世の中の方々に支えてもらえるだろか?
色々なな事を考えながら、ダビングの時を迎えています。
田中光敏拝
三重県志摩市に、行ってきました。日本では養殖不可能と言われていた、『真珠の養殖』を日本で初めて行った街です。
本当に美しい風景、海に浮かぶ島々。その島々のあいだを縫うように船で真珠の養殖をしている海を案内していただきました。志摩が持つ独特の美しい風景、透明度のある海、国立真珠養殖試験場あと。
懸命に、自然と向き合い、真珠養殖をしている姿を感じることが出来ました。
志摩に来るきっかけは、35年ぶりに、お世話になった方との再会。
その方に紹介していただいた、脚本家の方と一緒に志摩市を訪ねました。
美しい風景もさる事ながら、三重県は、ウナギが美味しい、ウナギ大好物の僕にとって、以前から行ってみたかった鰻屋さんにも行く事が出来ました。
一緒に行った脚本家の方も、6度目の挑戦でやっとこの店の鰻にあり付けました。と感動しながら僕もウナギいただきました。
美味しかった〜
志摩の真珠を養殖している方の言葉が今でも残っています。
海は、今でも外から見ると昔と変わらず美しい。
しかし、海の中は、昔と全く様変わりしてしまった。
何かがおかしい。
何かが起きている。
早く、なんとかしないと
海は、死んでしまう。
温暖化なのか、海が汚染されているのか?
海が、死んでしまう。
という言葉が、どういう意味をもつのか、僕達も考え、行動しなければいけない時期に来ている事は確かです。
田中光敏拝
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
いつものように、初詣⛩は近くの神社に。スケーターの羽生結弦さんの人気なのか?とにかく最近は人が多いです。
今年も、尊敬する福井県美浜町の徳賞寺の和尚であり、アーティストの大雲道人氏から今年の干支の色紙いただきました。
しっかり、飾らせていただきます。
昔読んだ本に、もう一度目を通してみた。こんな言葉が目に止まった。
高まるために捨てる。
人生はそれほど長いものではない。夕方に、死が訪れても何の不思議もない。だから、私たちが何かをなすチャンスは、いつも今この瞬間しかないのだ。
そして、その限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをキッパリと捨てなくてはならない。しかし、何を捨てようかと悩んだりする必要はない。賢明に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。
あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れていくように。
そうして私たちは、さらに身軽になり、目指す高みへと近づいていく事になるのだ。
〔本の抜粋より〕
今年は、この言葉のように、賢明に頑張ってみようと思っています。
更なる高みを目指して。
田中光敏拝